狛江市ぶらり歴史探索②~六郷用水~

                                校長 伊藤 栄司

日光移動教室

 延期になっていた日光移動教室も無事に終わりました。いつもより気温が低く、真っ赤な紅葉を楽しみながら、いろは坂を登りました。朝晩は吐く息も白く冬の訪れを感じさせる3日間でしたが、子供たちは元気いっぱい日光の豊かな自然を味わっていました。

六郷桜通り~田中橋

 ぶらり歴史探索の2回目は六郷用水をご紹介します。和泉小の南側のバス通りにはかつて、六郷用水が流れていました。現在は川を埋め道路として活用しているので想像するのも難しいのですが、六郷桜通りの名称や橋が無いのに田中橋と名付けられている信号に面影を感じ取ることができます。

 昔は多摩川の水位が高く、堰き止めると取水口からは豊富な水を得ることができたようです。用水は周辺の田んぼを潤しながら大田区の六郷まで流れていました。川の流域で取れたお米は、江戸の町に運ばれたくさんの人々の生活を豊かにしました。

小泉次太夫

広い土地があるにもかかわらず、水利が悪いために使われていない土地が多い事に気付いた小杉村代官の小泉次太夫は、多摩川から水を引き新田を開発しようと考えました。工事が始まったのは、1597年の2月でした。今の水神前信号のあたりに取水口を作り、水を引く計画を立てました。水神を祀り、工事や周辺地域の安全を祈った名残が残っています。 

また、今のような機械や技術がないころのことなので、棒に提灯を付けて測量したり、農具を使ったりして人力のみで幅4m全長24kmの大工事を成し遂げました。完成によって潤った田んぼは1500ヘクタールにもなり、約6000トン(現在の基準で計算1ha=4000kg~6000kg)ものお米が江戸の台所に送られました。水は作物の生長に欠かせないので、狛江は江戸の台所を担う大切な場所であったと言えそうです。

水の記憶をたずねて

六郷用水跡をたどっていくと、市役所の裏あたりで野川と合流します。昔の野川は現在よりも大きく南側を流れていました。そして、六郷用水はゆるいカーブを描きながら世田谷通りにぶつかります。小田急線の線路下あたりから続く不思議なカーブはかつて水が流れていた証拠です。また、世田谷通りの一の橋や二の橋など川も橋も無いのに地名だけが残っているところが六郷用水の跡です。用水はやがて、世田谷区に入り次太夫堀公園、大田区へと繋がっていきます。

他にも弁財天池から流れる清水川、六郷用水から分水した岩戸川など現在は緑地帯として整備されているところもたくさんあります。涼しく散歩をするには絶好の季節です。「水と緑の町」の名にふさわしい流れの跡をたどってみてはいかがでしょうか。

※参考文献:「狛江市の歴史」狛江市文化財専門員 井上孝著

「ちょっとむかしの狛江」狛江市教育委員会